ボツワナ22年版振り返りをきっかけに、ゲーム制作の要点のお話。その1。


ということで、鉄は熱いうちに打てとばかりにボツワナ2022年版の制作について振り返ってまいりましょう。と言っても、実際は私のボードゲーム制作の一般論と今回のボツワナのケースを並行してお話していくのはそう簡単な事じゃないなと早速感じてますけども(笑)。ともあれ始めてみましょう。

【「ボードゲーム」を作る動機と「ボードゲーム製品」を作る動機との重なり、差異について】

私自身日常会話の中では自分の活動や仕事を「ゲーム作り」「ボードゲーム制作」「デベロップメント」「ボードゲーム出版」等々大まかに、ともすれば乱雑に語ってしまっていますが、本当の所はゲームが作られたり、遊ばれたり(その仲立ちとしてしばしば売られたり)といった領域を取り巻くものはまさしく色々でして、ゲームごとに作られたり売られたりする理由も目的も千差万別です。そして遊ばれる理由もそうでしょう。だからこれらのゲーム作り関連のワードは、わかったような気になるからコンテクスト込みで使うわけですが、実の所自分のやっていることを一面的にしか説明してないとも言えます。言わば「何でそれをやってるんだ」という所を含まないからです。差し当たり、とりわけ私達が関わっているボードゲーム(より詳細にホームグラウンドと言うならドイツボードゲーム)について言うと、それは一辺数十センチ、厚さ十センチくらいまでの箱(多くは紙箱)に遊ぶための用具一式と遊び方の説明書が入って数千円で売られているヤツのこと。ここらへんのヤツらは大体同類、仲間ね!といったような大らかなコンセンサスが形成されていて、この「遊びの用具+説明書入り紙箱」を生活空間に発生させることに関連した仕事をしているというのが「ボードゲーム作りを仕事にしている」という。

ということなんですが、上記のように事を分けて考えていくと、まず「ゲームを作る」という言葉自体から、その内実についてさらに分別して語らなければいけないというのが私の考える出発点です。ボードゲーム作りの中核は「何らかの遊びを着想して実際に遊べるようにその遊び方を一連のルールとして組み上げること」。というのが(少なくともドイツボードゲーム分野における)コンセンサスと言って良いかと思います。ですので私としては「ボードゲームを作る」というのをもっともミニマルな捉え方がこれだと認識しています。遊びを思いついて、望む人が居れば「こういう遊びなんですよ」と遊べるように(おそらくは主に言葉で)説明できる。そしてその手続きを実行してみると、実際遊べる。この説明が可能になった時点で(実際には遊ばれなくても、説明が実行されなくても)ゲームを作れたということになります。

ということなので、ゲーム作りの上での一番最初の大きな線引きは「作ったゲームを他の人(達)に遊んでもらうつもりで作るのか?」という点です。ここを読んでらっしゃる方の多くは、ゲームを作るという時点で他の人に遊んでもらおうとするなんて当たり前のことじゃないかと思われるかもしれないですが、自分の興味や創作意欲で遊んでもらう予定が無いゲームを作ることもゲーム作りではある。というのと、自分の創作意欲の範囲で作ってみていたものを、思い立って他の人に遊んでもらおうとした瞬間に色~~んな問題が生じてきますよね!という確認がしたかったためにこういうことを書いています(笑)。純然とゲームを作るということと、そのゲーム作りに他者を様々な形で関わらせることは別のことだ、という基本線は踏まえておきたい。私はこの狭義のゲーム作りをほとんどしてませんが、他者を巻き込む前提でゲーム関連の仕事をしているということについては自覚してやっている…ということです。やっぱり全然ボツワナの話に入らなかったですが、今回はいったんこの辺で。